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公務員採用選考教養試験:古文問題と解説【地方上級(全国型)2012年】

次の文章の内容に合致するものとして、最も妥当なものはどれか。
                           【地方上級(全国型)平成24年度】

 さて又初学の輩、わがをしへにしたがひて、古風後世風ともによまんとせんに、まづいづれを先キにすべきぞといふに、万の事、本をまづよくして後に、末に及ぶべきは勿論のことなれども、又末よりさかのぼりて、本にいたるがよき事もある物にて、よく思ふに、歌も、まず後世風より入て、そを大抵得て後に、古風にかゝりてよき子細もあり、その子細を一ツ二ツいはば、後世風をまづよみならひて、その法度のくはしきをしるときは、古風をよむにも、その心得有て、つゝしむ故に、あまりみだりなることはよまず、又古風は時代遠ければ、今の世の人、いかによくまなぶといへども、なほ今の世の人なれば、その心全く古人の情のごとくには、変化しがたければ、よみ出る歌、古風とおもへども、猶やゝもすれば、近き後世の意詞のまじりやすきもの也、すべて歌も文も、古風と後世とは、全体その差別 なくてはかなはざるに、今の人の歌文は、とかく古と後と、混雑することをまぬ かれざるを、後世風をまづよくしるときは、是は後世ぞといふことを、わきまへしる故に、その誤リすくなし、後世風をしらざれば、そのわきまへなき故に、返て後世に落ることおほきなり、すべて古風家、後世風をば、いみしく嫌ひながら、みづから後世風の混雑することをえしらざるは、をかしきこと也、古風をよむひとも、まづ後世風を学びて益あること、猶此外にも有也、古と後との差別 をだによくわきまふるときは、後世風をよむも、害あることなし、にくむべきことにあらず、たゞ古と後と混雑するをこそ、きらふべきものなれ、これはたゞ歌文のうへのみにもあらず、古の道をあきらむる学問にも、此わきまへなくしては、おぼえず後世意にも漢意にも、落入ルこと有べし、古意と後世意と漢意とを、よくわきまふること、古学の肝要なり。
                        〔出典:本居宣長『うひ山ぶみ』(ノ)〕

1 古風の歌は理解するのが容易でないため、先に簡単な後世風の和歌を詠むべきである。

2 古風の和歌は昔の人と同じ心情で詠むことはできないので詠む意味がないため、後世風の和歌を詠むべきである。

3 古風の和歌は、詠む際に今の人の心情や言葉の意味が入ってしまうので、先に後世風を理解してから、後世風と区別しながら詠むべきである。

4 古風の和歌は難しいので、先に詠んでおけば、自ずと後世風の和歌も楽に詠めるようになるので、先に古風の和歌を詠むべきである。

5 古風の和歌は難しいが、物事は根本をしっかりとしてから、瑣末なことに至るのがよいので、先に古風の和歌を詠むべきである。










[解説]
 前半で選択肢照合をかけてもよいのだが、古文問題は「オチ」の部分、つまり最後のほうで正解選択肢の元ネタが作られている可能性が高い。ましてや、今回は問題文が長いので、なおさら後半が怪しい。こんなに長々と引用して後半が正解と無関係である可能性は、ないとは言えないが、低いであろう。よって、気になる個所はマーキングしつつも一気に最後までチェックする。
 すると以下の図示の通りだが、『ず』を使って否定・肯定の対比、強調語『こそ』、主張を表す述部表現『べき』と3つそろっているこの文脈で照合をかけると、引っかかるのは肢3の『後世風と区別しながら』のみ。これで肢3を正解と決めてもよいが、トドメを刺すなら、以下の図示の下線部を参照。


[図解]
※問題文と選択肢のそれぞれ同じ下線番号が一致箇所

 さて又初学の輩、わがをしへにしたがひて、古風後世風ともによまんとせんに、まづいづれを先キにすべきぞといふに、万の事、本をまづよくして後に、末に及ぶべきは勿論のことなれども、又末よりさかのぼりて、本にいたるがよき事もある物にて、よく思ふに、歌も、まず後世風より入て、そを大抵得て後に、古風にかゝりてよき子細もあり、その子細を一ツ二ツいはば、後世風をまづよみならひて、その法度のくはしきをしるときは、古風をよむにも、その心得有て、つゝしむ故に、あまりみだりなることはよまず、又古風は時代遠ければ、今の世の人、いかによくまなぶといへども、なほ今の世の人なれば、その心全く古人の情のごとくには、変化しがたければ、(1)よみ出る歌、古風とおもへども、猶やゝもすれば、近き後世の意詞のまじりやすきもの也、すべて歌も文も、古風と後世とは、全体その差別 なくてはかなはざるに、今の人の歌文は、とかく古と後と、混雑することをまぬ かれざるを、後世風をまづよくしるときは、是は後世ぞといふことを、わきまへしる故に、その誤リすくなし、後世風をしらざれば、そのわきまへなき故に、返て後世に落ることおほきなり、すべて古風家、後世風をば、いみしく嫌ひながら、みづから後世風の混雑することをえしらざるは、をかしきこと也、(2)古風をよむひとも、まづ後世風を学びて益あること、猶此外にも有也、古と後との差別 をだによくわきまふるときは、後世風をよむも、害あることなし、にくむべきことにあらたゞ古と後と混雑するをこそ、きらふべきものなれ、これはたゞ歌文のうへのみにもあらず、古の道をあきらむる学問にも、此わきまへなくしては、おぼえず後世意にも漢意にも、落入ルこと有べし、古意と後世意と漢意とを、よくわきまふること、古学の肝要なり。

1 古風の歌は理解するのが容易でないため、先に簡単な後世風の和歌を詠むべきである。

2 古風の和歌は昔の人と同じ心情で詠むことはできないので詠む意味がないため、後世風の和歌を詠むべきである。

3 (1)古風の和歌は、詠む際に今の人の心情や言葉の意味が入ってしまうので(2)先に後世風を理解してから後世風と区別しながら詠むべきである。

4 古風の和歌は難しいので、先に詠んでおけば、自ずと後世風の和歌も楽に詠めるようになるので、先に古風の和歌を詠むべきである。

5 古風の和歌は難しいが、物事は根本をしっかりとしてから、瑣末なことに至るのがよいので、先に古風の和歌を詠むべきである。

[ 正答 3 ]


<全訳>
 さてまた初学の人々は、私の教えに従って、古風・後世風の両方とも詠もうとするならば、まずどちらを優先すべきかということだが、全ての事は、根本をまずしっかりしてから、瑣末な事に及ぶべきであるのは、もちろんであるけれども、また瑣末な事から遡って、根本に到るのが良い事もある。よく考えるならば、歌も、まずは後世風から入って、それを大体会得してから、古風に入るのが良いという手順もある。その理由を一つ二つ言うなら、後世風をまず詠み習って、それを習得して後、その詠歌の規則を詳しく知れば、古風の歌を詠むにも、その規則の心得があって、注意するために、余りむやみな歌は詠まない。また古風は時代が遠く離れているので、今の世の人は、どれほど良く学ぶといっても、やはり今の世の人であるから、その心情は完全に古人の心情のようには、変えられないので、詠みだす歌も、古風と思っても、やはりややもすれば、時代の近い後世の心や言葉が混じりやすいものである。一般に歌も文も、古風と後世風とは、全くその区別がなくてはならないのに、今の人の歌や文は、とにかく古風と後世風と、混同することが免れないのだが、後世風をまず熟知する際は、これは後世風だということを、理解しているため、その誤謬は少ない。後世風を知らなければ、その理解がないので、逆に後世風に陥ることが多いのである。一般に古風の歌を詠む人は、後世風を、大変嫌っていながら、自分では後世風を混同することを理解していないのはおかしなことである。古風の歌を詠む人も、まず後世風を学んで得るところがある点は、更に他にもある。古風と後世風の区別をさえよく理解しているなら、後世風を詠んでも、害はないものである。これは嫌悪すべきことではなく、ただ古風と後世風を混同することこそ、避けるべきことなのである。これはただ歌や文の上だけでなく、太古の道を明らかにする学問にも、この理解がなければ、気付かずに後世風の考えや漢意にも、陥る事がある。古の考えと後世の考えと漢意とを、よく理解する事が、古学における肝要なのである。



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饗庭 悟 : AEBASATOL

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