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草稿:BOX別ノート・注釈式ノート

☆以下の文章は2015年6月時点で未発表の原稿の一部を掲載したものです。

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時系列ノート

 前章の冒頭にて若者に行わせるべきノートの取り方は3ヶ条あると紹介しました。

 1 ノートは聞き取り
 2 BOX別ノート
 3 注釈式ノート

 この章では2のBOX別ノート、3の注釈式ノートについて述べていきましょう。

 まずはBOX別ノートです。前章でもその内容を「情報を取得した段階で分類整理するルーズリーフの使い方」と要約しました。それはどういうことか。
 人は通常ノートを取るとき、時系列で書き込みます。昨日勉強したことの隣に今日勉強したことを書き込む。10分前に学んだことの隣に今学んだことを書き込みます。同じ科目なら一つのノートに学んだことを順番に時系列で書いていきます。
 しかしそれでは、ノートに書いている内容の前後関係が単に生徒が見聞きした順番以上の意味をもち得ず、そこに因果関係も体系性も何もないということになります。
 これがまだ、数学や英文法や歴史の、しかも基本講義ならいいかもしれません。先生の解説する順番がある程度、因果関係や体系性に則っていますから。しかし、これが文章読解の解説や問題演習講義なら困ったものです。
 たとえば、一つの英文を読むにしても、そこには単語・熟語の意味、関係詞といった文法、比較といった構文、V O to do の型を取る語法などの各用法、英文の背景にある文化や価値観、さらには環境問題など各分野での最新の情報など、多くの事柄を理解していないと一つの文章は読めません。それらがいっぺんに出てくるわけですが、それらを文章で出てくる順番に解説を聞きノートに書いても、整理して理解できるわけがありません。
 問題演習でも、たとえば世界史なら各国史(いわゆるタテの歴史)や同時代史(東洋と西洋の同時代を比較するといったいわゆるヨコの歴史)、テーマ史(経済や文化などの一分野に焦点を絞る)などが複雑に絡んで出題されます。単に問題を解き正解を聞いていただけでは、生徒には単に歴史用語が次々と羅列されるていくばかりで、それが何を意味しているか、さっぱり理解できません。
 ここに加えて、「学習の複数経路」の問題があります。学校だけでなく、予備校・塾で、さらに問題集を使った自宅学習で、生徒たちは勉強します。すると、彼・彼女らは同じ科目でも複数のノートをもつのです。これでは、同じ科目の学習内容がバラバラに蓄積されて有機的なつながりをもち得ません。


BOX別ノート

 これらの問題を解消するのがBOX別ノートです。これは若者に、学習で得た知識・情報を聞き取ったその場で、整理して記述させるやり方です。
 そのための準備として、生徒にはノートを一冊の綴じられたノートではなく、ルーズリーフを用意させます。
 次にルーズリーフの各ページに、項目別のタイトルをつけるのです。たとえば、『推量系の助動詞』(古文)『wh-系の各語法』(英語)『教養:言語論』(現代文)といった具合です。
 タイトルのつけ方、つまり科目の体系は教師・講師がクラスのレベルに応じて最初に伝えます。
 こうして生徒・受講生には、授業・講義で得た知識・情報を即座に、該当の項目ページに聞き書きさせるのです。
 それは、名札のついたBOX(トレー)に書類を次々と振り分けていく様に似ていますので、BOX別ノートと呼んでいます。
 いや、これは大人向けの比喩です。筆者は講義でよく、衣服の整理にたとえて若者にイメージさせます。ズボン・シャツ・下着・靴下・帽子などなどタンスの中にバラバラで収納されていたらどうなる、と。いざデートというときに、オシャレしよう、上手くコーディネートしようとしても、そもそも何がどこに入っているか整理・把握していなければ、シャツや靴下を探すだけで時間と手間がかかる。これではオシャレして出かけるどころではないし、ベストミックスのコーディネートも覚束ない。最初からタンスの引き出しに名札をつけて、どこに何が入っているか整理されているから、自分が持っているすべてのズボンと自分が持っているすべてのシャツを一覧、比較してベストミックスが可能となるんじゃないか、と。
 知識も同じですよね。知識が整理されてノートに書き込まれるから、頭脳にも体系的・因果的に整理されてインプットされます。それだからこそ、多くの知識を組み合わせて思考したり、判断したり、欠けている知識・情報を認識できたり、そして問題も解けるようになるのです。
 だから、筆者は講義では受講生にこう言っています。


BOX別ノート(ライブ)

 「たとえば、君が得た打消しの助動詞『ず』に関する知識・情報は、すべて一箇所に書かれてある状態にせよ。そういう風にしてノートに書くからこそ、過去に得た知識との整合性が生まれる。
 たとえば、いま先生が解説した打ち消しの助動詞の話をBOX別ノートに書こうと思って『否定』のBOXを見たら、もう既に今書こうとしていたことが書かれてあるかもしれない。だから分かるんだ。一度聞いていたのに忘れていたんだな、聞いて書いたことすら忘れていたんだな、と。そう認識すれば、その知識に対して取り組む姿勢も変わってこよう。そういうのも、同種の知識・情報を一箇所に集めているから可能なんだ。
 また、一箇所に集めているから、前に聴いたことと今聞いたこととのつながりも把握できる。そうして前に書いたことも意識してもう一回読むことになるので、理解も深まるし記憶にも定着しやすい。そう、BOX別ノートだと自然に、以前書いたことを繰り返し読むことになるんだ。繰り返し読むから分かるし覚えるんだ。
 さらに言うなら、先生が言った事柄を即座に分類しようとすると、当然、そこでどこのBOXにこの情報を入れるべきか考えることになる。そうやって、科目全体を見る目を常にもち、そうした広い視野をもって勉強するから、今勉強していることの位置づけも理解でき、次に何をやるべきかの戦略が見えてくる。
 よって、君たちにはこのBOX別ノートという手法から次のことを学んでほしい。すなわち、知識・情報は分類と集中が肝要である、と。分散させては使えるものにはならないのだ。」


綴じたノートよりルーズリーフの方が良い理由

 こうしてBOX別ノートを若者に実行させるべきですが、先述の通り、BOXの分類は科目のことをよく知る教師・講師から先に指示すべきです。ただし、これは固定的なものではありません。各人の勉強の親交具合に応じて、BOXを統合したり分割したり、新設したりすべきです。生徒にもそう最初に伝えておきます。
 これは各人の判断で行わせますので、「ノートは聞き取り」と同様、主体的・能動的にノートを取り勉強することにつながります。たとえば、古文の助動詞のBOXで、『る・らる』『なり(伝聞推定)』『べし』とひとつひとつの助動詞でBOXを作ってもいいですし、『推量系の助動詞』『推量系以外の助動詞』と分けても良いと思いますが、これは生徒各自の判断です。(ただ、先生が推奨するBOX分けと、その理由は明示しておいた方がよいでしょう。)
 ある程度、スケジュールが進み、各BOXも記述で埋まってくれば、自分の勉強の進行が客観的に把握できます。当然、よく記述している項目のBOXはルーズリーフの枚数が多くなります。
 このようにルーズリーフだと各項目のBOXの分量を付け足すことができるので便利なのです。
 こうして今までの勉強で何が充実し何が不足かを把握することで、次の勉強へとつなげさせます。
 ルーズリーフだと、分量だけでなく順序も調整できます。今自分にとって特に重要な項目はルーズリーフの先頭に配置して、すぐにチェックできるようにする、そういったことも可能になるのです。
 完全に消化した項目は削除することもできます。そういった形で、各科目のノートをコンパクトにまとめることができます。


BOX例

 ちなみに、筆者が担当した科目の内、英語と現代文と古文の平均的なBOX分けを以下に具体例として示しましょう。もちろん、これはクラスによって変わりますので、あくまで一例です。
 【英語】
 be,have,make,getなどの各基本動詞ごとのBOX
 will,shuld,on,of,wh-系,thatなどの語法が問われる機能語ごとのBOX
 希望・判断・伝達・仮定・比較などの表現ごとのBOX
 【現代文】
 換言・対比・並列・展開の4大論理形式ごとのBOX
 キーフレーズをつくりやすい語句
 評論文頻出用語
 反対語
 言語論・東西比較文化論などの教養分野ごとのBOX
 【古文】
 敬語
 推量系の助動詞とそれ以外の助動詞の両BOX
 接続語
 指示副詞『さ』がらみの連語
 語感別形容詞
 作品別文学史的背景

 なお、以上のように分けた意図は各科目の詳細と絡みますので説明を省かせていただきます。(どうしてもという方は個別に筆者宛で質問してください。)


何にでも「遊び」は入れておくもの

 さて、このように分けていく上で、ひとつ重要なBOXがあります。それはどの科目でも「その他BOX」「未分類BOX]を設けておくことです。
 こういう少し複雑な手法をとると、人は途端にその手法を採る「目的」を忘れ、その手法を完遂することを「目的」としてしまうのです。よく言う「手段」が「目的」になるというやつです。
 こうやって若者に知りえた知識・情報を即座に分類することを覚えさせると、彼・彼女らはスグに分類そのものに躍起になります。そして、『この話はどこに分類していいか分からない』と言い出すのです。
 もちろん、授業・講義では、とくに最初のうちはこちらから「今から言う説明は○○のBOXに入れましょう」とこちらから導くべきですが、このBOX分けは自習しているときにもさせないといけないので(いや、自習だからこそ余計にさせないと)、自分でBOXへの振り分けが判断できないといけません。
 同時にBOXへの振り分けはあくまで「手段」だということ徹底させるべく、「まだBOXをつくっていなさそうな事柄や、どこに振り分けて入れればよいか分からない事柄は、『未分類・その他BOX』に書くんだよ」と伝えるべきです。
 とにかく、どこに書くかで迷っていては勉強は進みませんし、講義なら聞き逃しが多く発生してしまいますので、素早く書かせるためにも、迷ったら「その他BOX」を徹底させるべきでしょう。「情報の振り分けができなければ、それは後回しにすればよい。先に進むことの方が大事」と言い聞かせておくべきです。
 何でもそうですが、目盛りのように厳密な分類よりも、多少は曖昧なままにしておく余白部分、俗に言う「遊び」の部分はあった方がいいです。本来の目的を見失わずに済みますから。
 ということは、自分の頭で判断し自分の言葉で記述でさせる「ノートは聞き取り」の方を若者には優先させてください。ルーズリーフのどのページでもいいです。勉強が進んだ後から分類すればよいと言い聞かせて、まずは聞き取りを最優先させましょう。


注釈式ノート

 ここまで「ノートは聞き取り」と「BOX別ノート」を紹介しましたが、筆者は当然これを講義で実践しております。これをさせると受講中の若者はとても忙しくなります。今聞いた情報がどのBOXに分類されるのかを判断し、そのBOXのルーズリーフのページを素早く開け、知らない言葉を電子辞書で調べつつ、聞き取りでノートを書き、次ににくる講師からの言葉も重要かもしれないということで聞き逃さないよう神経を尖らせる。大変忙しいです。
 だからでしょう。筆者の講義の受講生は講義後、非常に充実した表情をして退室していきます。90分が短く感じられるといいます。今までで一番疲れる講義だけど、心地よい疲れだといいます。もちろん、こちらも受講生が真剣なので、そのオーラをもろに受けて、一回の講義でも、もの凄く疲れます。
 でも、勉強する・させるとは、こういうことなのでしょう。読者の皆様も実践してみてください。

 BOX別ノートはこれくらいにして、「ノートの取り方3ヶ条」の3番目、注釈式ノートについて簡単に述べておきましょう。
 ここまで、板書に対して「ノートは聞き取り」、時系列での記述に対して「情報を分類して記述するBOX別ノート(ルーズリーフ)」を紹介してきました。
 最後の注釈式ノートは、前章の冒頭では「(文章系の科目や長くなる数式などでの)見やすいテキストへの書き込み方」と要約しました。「書き込み方」としてありますが、注釈式ノートはそのテキストへの書き込みに対するものなのです。
 英語の長文や古文などを先生が解説していると、よく見られる光景が、その解説を生徒が教科書・テキストに載っている英文・古文に直接書き込んでいるところです。英文の中の知らない単語の下に、その意味を書き込むといった具合です。
 この普通に行われていて、教える側も教わる側も何の疑いをもたない悪癖は、板書や時系列での記述ともに日本の教室から排除すべきです。
 筆者が英語の長文や古文・漢文の講義をする際、テキストにある文章には解説を書き込みさせません。テキストの文章には、下線部(傍線部)と番号だけを書かせます。そして、日付とテキスト名・ページを最初に書かせたルーズリーフ用のページに、番号とその番号の下線部(傍線部)にあたる箇所の解説を聞き書きさせます。あたかもその言葉の注釈であるかのようにです。
 すなわち、注釈式ノートはテキストに書き込みさせない、下線部と番号のみ書き込みさせて、各内容はしっかりとノートに書かせる方法、といいますか姿勢です。
 この「日付とテキスト名・ページを最初に書かせたルーズリーフ用のページ」は講義終了後に、「テキスト解説BOX」に収納させます。
 ここで少し補足しますが、筆者の受講生の多くはBOX別ノートを実行する際に付箋を利用していました。この「テキスト解説BOX」などは明らかにそうですが、ルーズリーフ用のページが1枚では済まないからです。重要なBOXには何枚も使うでしょうから、それらをスグに開けられるよう、多くの受講生が付箋を利用していたわけです。


一問一答になるうえに見やすい

 注釈式ノートに戻りますが、このノートの取り方には2つのメリットがあります。一つは、簡単な復習問題が自動的に作られるところです。
 生徒・受講生が復習のためにテキストを開くと、そこには下線部(傍線部)と番号しかありません。そこで若者は考えるわけです。そこに線が引かれてあるということは、その部分について何か重要な事柄があるのだろう。それは一体何だったか。若者は、それを記憶しているかどうか自身で試し、ノートを見て「答え合わせ」をするのです。
 これがテキストに書き込みがあると、思い出す前に解説が目に飛び込んできます。これでは本当に自分が記憶していたかどうかが曖昧になります。この注釈式ノートは、その意味でアウトプットの訓練をさせるためにあるのです。一問一答式にアウトプットの訓練ができるのです。
 注釈式ノートのもう一つのメリットは至極単純な話です。すなわち、この手法の方が書きやすいし読みやすい。
 テキストに書き込むと、あの狭い行間とか横の空白に書き込むことになりますが、それではどうしても字が小さくなります。分量も多くは書けません。それでも先生が解説したことを多く書くとなると、テキストが活字と活字の間に細かい字でビッシリと埋まることにあります。これでは読みにくいです。
 いや、それより何より、そんなテキスト、後で読み返す気がなくなります。筆者はよく受講生に言うのです。
 「君たちは小さい字を読むのが好きなのか。小さい字で書いてあるものは読む気が失せるだろう。どうして、自分で自分のやる気をなくさせるようなマネをするのか」と。
 聞き取りもそうですが、その字は確かに自分で書いたものなのに、それを読みたくなくなる。場合によっては小さすぎて、なんて書いたのか自分で分からなくなる。これほど悲しいことはありません。一生懸命になって書いた言葉なのに。
 そういった具合なので注釈式ノートは未来の自分に優しい、未来の自分のことを思って書くノートなのです。


失われた自分

 いや、これら「ノートは聞き取りにて自分の言葉で書く」「BOX別になったルーズリーフに知識・情報を振り分けながら書く」「後でアウトプットの訓練ができるように注釈式で書く」といったノートの取り方はすべて、未来の自分に優しい、自分を大切にするノートの取り方です。
 簡単に言えば、聞き取りは「後で読んで意味が分かるように」、BOX別は「後で書くこととつなげやすいように」です。注釈式なんて「後で読みやすいように大きく書くよ」といった幼稚ともいえる理由が含まれています。
 しかし、それもこれも「ノートは自分のために取っている」という当たり前の目的を達成するためです。その目的のために、「ノートは自分の言葉で書いた方が分かりやすい」、「同じ項目は同じところに書いた方が分かりやすい」、「テキストとは別に書いた方が見やすくて便利だ」と、こういったことに素直に、本当にただただ素直に従った「ノートの取り方3ヶ条」です。
 こんな素直なことをなぜ皆しないのでしょう。どうして、これとは反対の「板書をコピーするだけ」「解説された順番に続けて書く」「テキストに書き込む」といった行為を、何の疑いもなく行ってしまうのでしょう。
 それは、みんな「自分を大切にする癖」がないからです。
 いや、自分を大切にする「心」はもっているでしょう。しかし、その「方法」を知らないのです。
 いや、もっと正確に言うなら、その方法が考え付かない。それどころか、「方法を考える」という行為にすら、思い至らないのです。なぜでしょう。
 それは、そもそも「考える癖」がないからです。考えることに怠惰になっているのです。
 いや怠惰以前に、教壇に立つ大人も机に座って聞いている若者も、考えるとはどういうことなのかをそもそも教えられていないのです。
 公的な教育の現場や教育産業の教室において、表向きには『思考力を伸ばす』といっていますが、それはただの綺麗ごとで言っているだけ。もしくは「思考力を伸ばす」を、ペーパーテストで成績を上げるための丸暗記を前提とした演算能力を伸ばすこと、そういう意味だと勘違いしているだけのことです。
 あるいは、思考力というのを「誰かの考え方にしたがって、その範囲を逸脱せず、正解を導き出す」といった、「自立した思考力」とは真逆の内容で思考力を捉えているのかもしれません。
 前章の「思考は言語によって司られる」のところでも言いましたが、考えるとは「頭の中で言葉を使う」ということであり、「自立した思考力」とは「自分のものになった、自分の感覚になった言葉を、頭の中で使う力」のことです。
 しかし、日本の教育受けた若者(かつて若者だった人も含む)は自立した思考のための「頭の中で使う言葉」をもっていません。それを獲得しようという意識もありません。それは自分を大切にしないからです。自分を大切にすることに怠惰なのです。自分を大切しない人に、自分の感覚となる言葉など獲得できません。
 仮にそれを獲得しようという意識があっても、他者の言葉をそのまま頭に入れるだけだから簡単に洗脳されてしまう。他者の言葉を検証して、そのうえで自分の血肉にしていていく、そういう言葉になっていない。
 比喩ではなく、自分の身体に根拠を持つ言葉を皆が持っていないのです。だから余計に自分を大事にしたくてもできないのです。
 そのとき、人は自分を失うのです。就活や受験で表面上の受かるテクニックを欲するのは、必勝法の根拠となる自分が失われているからです。他者「しか」根拠にできないのです。

 自分を大切にする癖がないから、自立して思考できない。自立して思考できないから、自分を大切にできない。できないから、自分を大切にする癖が身につかない。その悪循環が日本の教育現場では長年充満しております。
 その表れの究極は、若者の「いじめを苦にした自殺」であると思います。
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以下、略


プロフィール

饗庭 悟 : AEBASATOL

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aebasatol@yahoo.co.jp

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