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チョイス(公務員試験予備校)

この記事では公務員試験対策として、予備校をはじめとする学内講座・通信講座などの「講義を受講する」ことについて言及する。



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本題に入る前に、個別面接でもよくされる質問、<読書>について言及したい。それが、この記事の本題と何の関係が有るかは、最後まで読んでいただければ分かる。それは人物試験対策において意外に見落とされているポイントでもある。

面接では、その担当面接官が質の良い面接官(残念ながら人を見抜く力のない面接官は往々にして存在する)であるなら、読書について訊ねてくる。

『あなたは普段どれくらい読書をしますか』
『最近、どんな本を読みましたか』
『今まで最も感銘を受けた本は何ですか』

この質問を受けて困る人は多いだろう。
ところでなぜテレビについては質問されないのか。

『あなたは普段どれくらいテレビを見ますか』
『最近、どんなテレビ番組を見ましたか』
『今まで最も感銘を受けたテレビ番組は何ですか』

当然だと思わずによく考えて欲しい。読書といえども、全てが肯定されるわけではない。恋愛もののライト・ノベルなら、少なくとも就活という視点では、「良い読書」とはいえないだろう。一方、テレビといえども、教養が深まるものはある。知識・情報を得るのなら、番組さえきちんと選べば、テレビ鑑賞も知的な活動ということになる。世界経済について討論している番組を見て、それを否定する人はまずいるまい。
ではなぜ、読書は肯定され、テレビ鑑賞は否定されるのか。なぜ、若者が読書しているかどうかは社会人の関心の的となり、テレビ鑑賞についてそうはならないのか。

それは、読書が能動的で主体的で、想像する度合いが高く、それに伴って何かを創造する度合いも高くなるからである。

テレビは呆けていても勝手に内容が進行するが、読書は自分で視線を動かさなければ進まない。テレビ番組は家にあるリモコンの2~3のスイッチを押せば勝手に流れるが、書籍は、書店であれネットでの購入であれ、自ら選んで積み上げなければ、家の中には存在しない。書店での購入ならわざわざ足を運ぶことになる。読書は能動的である。活動的である。
いや、たとえそうして書籍を手にいれ、読書したとしても、内容を理解しようとしなければ何も頭に入らない。君も経験があろう。目は文字の列を追っているが内容が頭に入らず、気がつけば視線だけは随分と先の行にまで進んでいるのに頭はついてきていない、ということが。読書は積極的に自分の頭を使って理解しようとしなければならない。時には今読んでいる本の内容を理解するために、別の本を参照すると言うことも必要になる。読書は主体的である。積極的である。
テレビは映像が流れる。が、読書に映像はない。頭の中に自らの力で「絵」を思い浮かべなければならない。そのためには知識が必要になる。何も知らないものが何かを思い描くことはできない。読書は想像的である。知的である。
そして、知識を得ながら想像するから、その延長で新たな発想が生み出されることもある。読書は創造的である。
また、読書をしていれば、知的レベルの高い人とコミュニケーションがとれる。たとえ、その知的レベルの高い人に知識で適わなくとも、その人から多くの新しい知見を吸収することができる。読書をしていれば、以上に挙げた全ての力を総合した思考力が身に付いているので、その知的レベルの高い人が話すことを理解できるからだ。
能動的、活動的、主体的、積極的、想像的、知的、創造的、コミュニケーション力、多くの知見を吸収する力、思考力。どれも、社会が、組織(企業・役所とも)が若者に、君に、求めるものばかりである。



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この記事は当ブログの記事”プラン”の続編である。できれば、先にそちらをお読みいただきたい。そうして、”プラン”と以上の文章を『能動的』に「読書」した君なら、この記事の本題について私が何を言いたいか『主体的』に考え、『想像』できるのではないだろうか。

この言葉を綴っているわたくし饗庭は、長年、予備校(主に大学受験)・塾の講義や、それら組織の設立・運営・経営に携わってきた。それに対する周囲の評価がどれほどのものかは、今の私の現況を皆さんに見ていただければ敢えて言及する必要もあるまい。
その私が言う。

講義を受けることはテレビを見ているのと同じ。独学自習は読書と同じ。講義は、講師が一人一人の受講生の理解とは無関係に、言葉を選んで話を進めていく。が、一人で行う勉強は、自分で問題集のページをめくり、自分で解答のヒントを探し、それを自分の言葉にして理解しなければ、進んではいかない。


何もテレビを「全く」見るなと言っているのではない。同様に講義を「全く」受けるなと言っているのではない。


だが、本物の学力は自宅で一人孤独に行う勉強(独学といっても自学自習と呼んでもいい)でしか身につかない。自宅で能動的に主体的に勉強するから、思考力すなわち学力が身につく。自分に何が欠けているかを想像し、戦略・戦術を創造するから本物の学力がつくのである。

講義とは、その本物の学力を身につけるための「きっかけ」、あるいは「補助」にすぎない。
講義を受けると言うのは、自転車に乗る練習にたとえるのなら、後ろで支えてもらう手、または補助輪だ。まだバランスが取れない間は、誰かに自転車の後ろを掴んでもらう必要があろう。または、補助輪をつける必要があろう。だが、いつまでもそれでは本当に自転車をこぐ力は身につかない。
私は講師として、少なくとも大学や資格試験の受験については(つまり学問やエンターテインメントでなければ)講義とはそのような位置づけであるべきだと考える。講義はあくまで、受講生が自立して勉強できることを目指すべきである。講義は受講生にとって最少限であるべきだ。
だから教壇に立つ講師は、受講生がクラスを去り、『ひとりで勉強できます』と言ってくれることを目指すべきなのである。

公務員志望者で、択一試験の対策をするのに、「あくまで勉強は自分で行う独学自習がメインで、講義の受講はサブだ」と考えるのなら、予備校・学内講座・通信講座を受講することに私は賛成だ。もちろん、そう考えて受講するとなると、講義を受けるのに「取られる」時間は、かなり少ないということになる。

しかし、もし君が公務員講座を申し込めば、最少限の講義だけ受講するというのは現実的に不可能になろう。
なぜなら、講座を提供する側が、そうはさせないからだ。



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わたくし饗庭は、そのような状況をずっと見てきた。一方で独学の受験生を長年支援してきたこともあって、受講生・独学生双方がどのような勉強過程・受験生生活を送ったか、そしてどのような結果に至ったか、それらをつぶさに見てきた。
その饗庭が、ここに、長年、予備校に関わってきた講師として、慎んで申し上げる。

公務員志望者は公務員試験予備校や学内講座などに関わるべきではない。

理由は、学力がつかないからだ。その一方で本来、志望者に最も必要なこと、絶対に志望者が自習できないことに関しては、提供しない、いやできないからだ。
どういうことか。
これは予備校などのビジネスモデルに起因する。以下、詳述していこう。



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予備校や学内講座など、公務員試験講座に通うと、やたらに国家一般職や県庁、そして特に国税専門官を志望することをすすめられる。本人の学力や適性とは無関係に。なぜか。
講座の関係者は言う。

(1)『公務員試験に挑戦できる機会はそう多くない。国家公務員や専門官を受けられるようにして、公務員になれるチャンスを増やしておくべきだ』

この言葉そのものには思い違いがあるとはいえ(大学受験と違い、就活ではチャンスを多くすることが必ずしも成功確率を高めるわけではない)、ウソはないだろう。少なくとも発言したスタッフ個人(つまり雇用されている者)には、この発言の言葉どおりの意味以上の意図をもっていない可能性が高い。だが、講座を主催する組織(経営者と彼と利益を共有する者)の意思は違う。


その意思を述べる前に、講座を受けることのメリットとして挙げられる以下の言葉を引用しよう。

(2)『講座を受けたほうが能率よく、その科目の内容を習得できる』

だが、事実はそうではない。講師個人のレベルでも、組織のレベルでも、受講生が『能率よく』科目を習得することを意図して、講座概要や講義内容が決定されることは、ほとんどない。これはフリーの講師として長年これら組織に関わったものとして断言できる。


これら(1)(2)の言葉には、講座を主催する側の共通した意思がある。その意思を理解するためには、予備校などのビジネスモデルを思い浮かべるといい。


彼らは様々なサービスを提供する。面談で志望先の選択についての悩み相談を受けたり、エントリーシート(面接カード)や作文を添削したり、裏情報と称したものをプリントにして提供したり、OB・OGを呼んでイベントを開いたり。だが、これらは予備校のビジネスモデルの根本ではない。
多くのサービスを、実際はともかく、パンフレット上では多く載せるので誤魔化されがちだが、彼ら講座の主催者は、それら諸サービスを売っているのではない。面談などはあくまでオマケである。実際、志望動機の添削や悩み相談だけを受けるために、料金を払うということはない。それだけを売って欲しいと消費者が求めても、彼らは売らないだろう。


では、予備校のビジネスモデルの根本とは何か。結局、彼らは何を売っているのか。

もう、お分かりだろう。

予備校は講義を売っているのである。講義を売らない限り、その他のサービスは成り立たない。彼らの主力商品は講義。いや、テキストも面談も根本的には講義に付随させなければ売れない。彼らのほとんど唯一の商品が講義だ。生の講義であれ、DVDであれ、通信講義であれ、講義を売ることが彼らのビジネスの根本だ。だから、できるだけたくさんの講義を売ろうとする。このことを、『なぁ~んだ、当たり前のことじゃないか』と捉えるだけではいけない。これが何を意味するのか、よく考えるべきである。この意味とは何か。それは受講生の時間を奪ってでも講義をたくさん受けさせようとするということである。


彼らの利益は講義を売ることなのである。


だから、国家一般などの専門試験のある志望先を進める。なぜなら、専門科目の分だけ講義が売れるからである。国税専門官なら、会計学と憲法論文というオプション科目を余計に売ることができる。だから国税をすすめるのである。本人の適性など眼中にない。(1)の発言の意図は、受講者の受験のチャンスを広げる意図ではなく、予備校側の講義を売るチャンスのことをいっているのである。教養試験だけで受けようとする志望者は彼らにとってあまり魅力的なお客さんではない。ましてや、大阪市・大阪府のようなところを志望するお客さんは、彼らにとって本当に魅力的ではない。

(2)の言葉も同じ文脈で解釈すべきである。(2)の言葉はどちらかというと、予備校側より受講生側が発してしまうのだが、この言葉は事実に反する。売り上げに直結する組織にとっても、そして自分の評価・査定に響く講師にとっても受講生に能率よく勉強されたら困るのである。ましてや、自立して勉強されたら困るのである。いつまでもいつまでも一人では勉強できない、講義および予備校に依存する受講生でなければ困るのである。彼らは少しでも受講期間が引き延ばされるよう、知識・情報を小出しにし、オプション講座も小まめに売っていく。(どのみち、講義という形を取っている以上、扱う過去問題は、自習と比べてそんなに多くはならない。)
世の中に公務員志望の浪人生が溢れかえるのは、彼らにとって大歓迎である。何度も落ちて、それでも諦めないで何度も挑戦する若者は大歓迎である。何年も何年も講義を売ることができるのだから。

こうまで述べても、私、饗庭は予備校などが悪いなどという気はない。彼らも生き残るのに必死だ。彼ら自身や彼らの家族を守るために全力を出していて、かつ市場のルールに則りビジネスを行っている。こんな教育ビジネスなどまだ甘い方だ。世の中にはもっとえげつないビジネスがある。

私はここで言いたいのは予備校批判ではない。私が言いたいことは、そんな小さく、さもしいことではない。予備校や学内講座なんてどうでもいい。私が言いたいのは、公務員志望者、ひいては就活生が、生き残るために必死になって考えているか、必死になって世の中を見つめているか、ということだ。


予備校は講義を売ることで利益を得る。
一方で、公務員志望者にとっての利益は、”プラン”やその他の記事で述べたように、少しでも多く過去問を解くこと、そしてそのための時間を確保すること。加えて、先述したように学力の土台は独学自習を基本としなければ身につかないのだから、自分で考える時間を増やすこと。
講義をたくさん受けるということは、過去問を解く時間の多くを取られ、それでいて独学自習に比べてこなす問題数が少なくなり、自分で頭を使う時間も減るので理解力を減退させることになる。( 講師の話を聞いている時は理解できていたのに、同じ問題を自分で解くとまた理解できなくなっている、という経験はだれしもあるだろう。 )つまり、公務員試験講座に関われば、学力がつかない。


一次対策を能率よくこなしたいのなら返って講義は受けないか、受講してもその数は極少数に留めないといけない。


ここまで述べた事情をもっと端的に言うなら、次のように表現しても良いのではないか。

すなわち、公務員試験予備校と公務員志望者の利害は一致しない。

私がここで言いたいのは、君が、君が、君が、この事実を直視し、理解し、それにしたがって行動することで、初めて公務員として生き残ることに必死になっているといえる、そのことが分かっているのか、ということだ。

「利害の不一致」でいうなら、もう一点ここで言及しないといけないことがある。それは”プラン”その他の記事で、何度もその重要性を強調している人物試験対策だ。



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実は、公務員試験講座で人物試験対策をすることは、主催する側にとってできるだけ「やりたくないこと」なのだ。

なぜか。
それは経費と手間が掛かる割りに利益が上がらないからだ。

個別面接の練習となると、受講生一人だけのために、ひと部屋と数名の人員(予備校スタッフや講師)を確保し、尚且つ面接の練習時間が20~30分、その講評に更に時間が数十分とられる。本来ならこれに見合う料金となると、家庭教師のように完全個別指導(しかも指導者が受講生一人に対して複数人)なのだから相当な金額になる。しかし、料金をあげることはできない。あげたところで受講生は少なくなるだろうし、どのみち一回でたくさんのお客さんが取れる講義に比べてさほど利益が上がるわけでもないので、手ごろな値段で対策を行う。すると、個別面接の練習は一回の申し込みで1~2回くらいとなる。

もちろん、その数の少なさを誤魔化すために、売る側は工夫を怠らない。受講生に面接官役をやらせたり、面接の様子をビデオで撮影したり(そんなこと、ウチのワークショップD.L.A.でもやっている。売りにする方がおかしいのだが)。
よくあるのは、面接官を実際に務めた人を講師に呼ぶというやり方だ。だが、採点する側が指導する側に回ったからといって、指導の上手い人とは言えないうえに、以下に述べているように、それは根本的な面接対策にならない。(それに面接官の指導もする私、饗庭の目から見て、この手の講座に呼ばれる面接官経験者は大概、自分の主観だけで物事を述べるタイプが多い。それは面接官になる訓練をきちんと受けていないことを意味する。面接官は、そして面接指導はそう簡単にできるものではない。)


このように「表面的な」人物試験対策ですら、予備校などの公務員試験対策講座ではできない。ましてや、”プラン”でも述べたように「根本的な」対策など、とても覚束ないものだ。このブログの各所で述べているように、何十回も個別面接や集団討論の練習をしたところで、そこで語る中身をつくらなければ、そのような練習など意味はない。面接などの練習を意味のあるものにするためには、その前提として長い時間をかけて積み重ねてきた思考と行動実績が必要になってくる。それらを公務員志望者に指示・連絡・報告・相談・行動実績の管理および整理をして初めて「面接のための対策」、いや、社会に認められるような「人間形成」が可能となる。やはり、予備校などは「教育機関」ではないということだろう。「教育ビジネス」なのだ。本当に人物が問われる場面において、彼らは何もできない。「教育ビジネス」の限界である。

本来なら、絶対に独学できない人物対策において、予備校などの存在が必要なのだが、現実は上に述べたとおりで、予備校は本当のニーズに答えられていない。この現状は生協などが主催する対策講座などでも同じで、結局は「表面上の形式的な対策」程度のことしか出来ていないいや実をいうと、この問題は予備校などの「教育ビジネス」はおろか、「教育機関」もできていない日本の教育の根本的な問題なのだが、本題からズレるので言及しない。いずれにせよ、一部の意識の高い民間志望者が行っているように、意図的に自分を磨く行動(念のために言うが資格をとるといったことではない)をとらなければ、人物対策試験などできない。世間に溢れる公務員試験対策講座には頼れない、いや、頼る必要がないのである。



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ましてや、択一試験対策などは、書店にいけば、いくらでも独学ための良書がある。(またこんなのもある。このフリーラーニングは是非一度のぞいて欲しい。)時間とお金ばかり取られて、その実、そんなに必要のないものなのだから、わざわざ講座などに君の貴重な財産(お金と時間)を捧げる必要はない。


もう一度言う。公務員講座や予備校に関わるべきではない。ただ公平に言うなら、もし、単科で受講できる講座があるのなら、どうしても不得意な科目で、尚且つ講師が信頼できる力量の持ち主であるなら、料金も安く済むので、受講してもいいだろう。

だが、実際に、そのようなシステムを取っている講座や予備校はほとんどない。ほとんどの講座は、不必要な科目や不要なサービスをワンパックに詰めて「見せかけだけのお得感」を出し、料金を一括契約(分割払いは可能だが、一度契約すれば原則途中で解約してもお金がほとんど返ってこないシステム)で払わせる。ばら売りが余りされていない状況だ。

公平に言って、予備校の択一試験対策が質の高いものでも、物事には相性がある。提供されるサービスの質の高さとお客様の満足度は一致しない。ホテルレストランの上質のサービスが堅苦しくて嫌だ、という人もいる。自分に合うかどうかは、それを受けてみないとわからない。失敗したなと思ったときに、路線変更できるほうがよい。これは予備校の質の問題とは別次元の問題である。ところが、この業界の料金システムはほとんど一括契約で、通う予備校を変更すれば多額の損失を被ることになる。私が、予備校などに関わるべきでないと言うのは、このような契約形態であることにも理由がある。

実はもう一つ。予備校に関わるべきでないもっと根深い問題がある。それは講師に関わる問題なのだが、それはここで言及しない。ただ他にもまだ問題があることだけ知ってくれればいい。



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というわけで、択一試験対策は独学の方が能率がよく、無駄なコストもかからないうえに、書店にマメに足を運べば、講座に申し込むよりもはるかに安い金額で何倍もの問題数が手に入り、予備校の利害とは無縁の良質な情報が手に入る。君が大学生なら、公務員試験の学科で分からないところがあれば、大学に、教授という講座の講師よりも法学や経済学の専門家がいるのだから、いくらでも質問できる( 何かを習うとき、スグに塾や学校にいきたがるのが日本人の悪い癖だ。 )いやそもそも、数的などで質問しないと理解できない問題は後回しにすべきというのが公務員試験対策の常道だ。また、大学には図書館という自習室もある。ここで言いたいのは、公務員試験の勉強に取り組む環境は学生なら調っているということだ(既卒生なら出身大学を利用すれば良い。意外と使える)。

そして何より、読書と同じように、独学は本物の学力をもたらしてくれる。だからなのだ。択一試験の勉強を独学でやったこと自体、面接で自分をアピールできるポイントになるのは。これは意外に見落とされている。冒頭にあげたように読書には、社会人から見て様々に評価できるポイントが多く含まれている。ということは、独学も同じである。社会人は君が予備校に通ったことを評価しない。が、君が独学を貫いたことは、もの凄く評価する(たとえ経済的な理由であったとしても)。いや、公務員に限らず、就活生は当然いま頑張っていることは就活なのだから、それをどう自力で工夫し頑張ってきたかは自分をアピールする材料の一つになるのだ。だから、独学を選ぶこと自体が人物試験対策になる。どのみち、人物試験対策において予備校・学内講座は使えず、講義を受講しない方が択一試験対策も能率的なのだから、公務員試験対策として独学を選んだ方が良いのではないか。



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そうはいっても、もう既に予備校にはいってしまった人もいよう。その場合はどうするか。
キャンセルして相当な額のお金が戻るのなら、今後の問題集購入や交通費(たとえ公務員志望でも就活にはこれがかなりかかる)の資金に充てるといった、もっと有効な使いみちのために、キャンセルすべきであろう。
だが、実際にはそうはなるまい。キャンセルして返ってくるのは少額だ。彼らは、受講生の心変わりを見越し、様々な計算式やスケジュールを駆使して、キャンセル料が最小限になるよう仕組んでいる。当然であろう。ビジネスとはそういうものである。

そういう状況なら、もう仕方がないので、利用できるところは利用して、せめて予備校の講義に依存する姿勢から脱却することを図らねばなるまい。経済学で言うところのサンクコストという概念(知らない君は自分で調べよう。非常に大切な考え方だ)を自分に当てはめ、『せっかくお金を払ったのだから勿体無い』などと思わずに、今最も必要なことを考えるべきであろう。過去のコストの回収を諦め、これからの自分に最も有効な戦略を『創造』する。このような姿勢をスグに取れる若者が、いつの時代でもどこのフィールドも、生き残ることができる。

そのために何をチョイスするか、それが君の運命となる。



 ↓ ↓

”プラン””チョイス”と長々読んでいただき、ありがとう。この2つの記事やこのブログの他の記事を読んで、共感を覚えたなら、わたくし饗庭、またはワークショップD.L.Aにアプローチしてくれ。(戦略策定会議が開催されている時期なら、そちらへの参加も願いたい。)
饗庭、およびワークショップは関西を中心に活動しているが、全国どこへでも向かう準備はあるので、北海道でも、関東でも、四国でも、九州でも、どこからでも連絡してくれ。志ある若者からのアプローチを待っている。



ワークショップD.L.A.は教員志望者や民間への転向および併願にも対応している。何が何でも公務員という姿勢ではなく、君の適性によっては民間などへの転向も支援している。この点が既存の公務員試験予備校とは異なる点でもある。実際、親や大学・予備校に煽られて、自分の適性を省みず、むりやり公務員になろうとしている人は多い。私としては読者には、民・公どちらであれ、幸せな就職を追い求めて欲しい(または、若者に追い求めさせて欲しい)。自分はどういうスタイルで、何に重きを置いて、これからの人生を生きるべきなのか、それをよく考えながら就職活動をする若者が一人でも多く増えることを願っている。


(2012年8月に記す)
プロフィール

饗庭 悟 : AEBASATOL

Author:饗庭 悟 : AEBASATOL
自己紹介

☆お問い合わせは
aebasatol@yahoo.co.jp

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