The Talking Column Ⅲ

大学受験予備校にて数年前に発したコメントの記録 ⇒ 1~67~12

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 国語・英語などの言語科目は、あなたの認識・判断が世界にとって絶対的に正しいものでないことを教えてくれる。自分とは違う他者、他者とは違う自分、その境界線・接点を教えてくれる科目である。それは、自分の頭で考える方法、そして相手の気持ちの察し方、そういうものにつながる。

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 広い視野を持つということは、さまざまな事柄が一つにつながることを目の当たりにすることである。多くの知見は視野の長い輪郭を象り、見える世界を彩りあるものにする。何一つ無駄な勉強などない。無駄に思えた知識・経験が思わぬところで力を発揮する。視野を広げるとは、直接関係のなさそうな事柄に触れても、それらがつながるのが見えるまで、じっと待つ忍耐力をも含意する。

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 英語であれ現代文であれ古文であれ漢文であれ、それらが言語科目である以上、学習の仕方は一つである。それらをバラバラに考えるのは能率が悪い。共通した部分が見えるからこそ、それぞれの特徴も明確に見えてくるのである。

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 真実へ至る道は人々の数だけ存在する。したがって、それぞれが自分だけの道を見つける必要がある。
 主観的には、その道は独自のものである。客観的には多くの人が同じ道の上を歩いている。だからそこには、地図があり、道標があり、導きがある。

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 大学受験は、自分がドメスティックな存在ではなく社会的な存在として、自分の本当の姿を見つける初めての試練である。成人式よりも、本来の意味での成人式に近いと言えよう。

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 無教養な者の無作法は彼らの無知に比例する。自分に理解できないことすべてに対して軽蔑を持って報いるのである。(ウィリアム・ヘイズリット:19世紀英国の作家)
 愚か者の見分け方として。そして、自分が愚か者にならないために。

19
 知的で、身軽で、独立した個人。そうありたいものだ。

20
 物事には必ず二面性がある。
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饗庭 悟 : AEBASATOL

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