語る中身

2013.2
※ この記事は2012年まで、『就活ワークショップ』の公務員志望組へ新規加入したメンバーへのメッセージとして、読んでもらっていた記事の一部である。小論文に関する記述以外はカットした。残した記述はいずれ小論文の書き方として再編されるだろうが、それまではアウトテイクとしてここにおく。


≪小論文・作文について≫

私の考えでは、面接であれ討論であれ小論文・作文であれ(あるいは外国語であれ)、語るべき中身をもっていなければ言葉を発することはできない。

たとえば、君は日本語が話せる。日本語に堪能なはずだ。ところで、君は東洋美術に造詣が深いだろうか。もし、東洋美術の知識を何も持ち合わせていなかったら、「さぁ、東洋美術について10分間話してください」と言われても、10分いや1分どころか、一言も発せないだろう。日本語を話せるにも関わらず。日本が堪能であるにも関わらず。(この『日本語』という部分をそっくり『英語』と置き換えれば、英語を勉強することに狂奔することがいかに愚かなことかが知れよう。)

このように面接であれ討論であれ小論文であれ、何かを語ろうとするとき、語る中身がなければ、たとえ小論文の書き方や討論のテクニックが身についていたとしても、有益なことは何も語れない。そう、面接や討論のテクニックなどよりも、大事なのは語る中身なのだ。

そして、その中身とは教養の分厚さのこと。教養の分厚さは、単に知識の多寡にのみ拠るのではない。教養の分厚さは、「自分のものにした知識の質」つまり思考によっても決まる。教養とは知識+思考なのだ。これは己自身のことについて語るときにも当てはまる。己のことをキチンと整理して語るのも教養の為せる技だからだ。
要は「ネタ」が命だ。自己のことであれ社会のことであれ、語る「ネタ」がなければ小論文や面接のマニュアルが頭に詰まっていても何も語れない。その「ネタ」は、長い時間をかけて知識と思考を積み重ねるから「自分の血肉となったネタ」となる。そう「ネタ作り」には時間がかかるのだ。

よって小論文対策は「ネタ作り」に大半の時間を割くことになる。

書く練習よりもまずは時事関連を中心とする教養(知識+思考・意見)を身につける作業が論文あるいは作文の学習の中心となるわけだ。「ネタ」がないのに書いてしまったら、書けずに終わるか、無理やり完成させた支離滅裂で中身のない論作文を書くか、そのどちらかとなってしまうからだ。

(後略)
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饗庭 悟 : AEBASATOL

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