ボランティアをしてはいけない@「就活ワークショップ」

 同じことがボランティアにも言えます。( ”(1)アルバイトをしてはいけない”からのつづき )


 ボランティアをさせるために保護者は大学にお金を払ったわけでは有りません。それはアルバイトをさせるためではないのと同様です。
 また、社会勉強という意味においても、アルバイト同様、大学での勉学をがむしゃらに取り組んでいるという前提で、少しのボランティアなら許されるでしょう。

 しかし、本来ならボランティアも大学生がやるべきではないでしょう。
 大学生は保護者にお金を払ってもらって勉学に取り組んでいるのです。先述の通り「投資」してもらっているのです。
 それはいわば保護者に庇護されている、助けてもらっている、と言えます。
 そんな学生が他の人を助けている余裕はないでしょう。投資してもらっている責務を果たすのが先です。

 それなのに、なぜボランティアに勤しむのでしょう。
 社会勉強になるから?先ほど来から繰り返しているように、大学生なら先に勉強すべきことがあろうということになりますが、この理由は実はまだマシな方です。ちゃんと『社会勉強』のためと宣言しているのなら(後述)。
 就職活動でのアピール材料にする実績作りのため?これはボランティアをする動機としては不純ですが、実際にボランティア対象の役に立っているのなら、そして変な綺麗事をボランティアの口実にしないのなら、問題ないでしょう。ボランティアであれ、「仕事」として「成果」を挙げている、結果を出しているのなら構いません。

 そう、実はボランティアの問題はここなのです。それが一番現われるのが、ボランティアに勤しむ理由として『困っている人のために役に立ちたいから』と言う時です。

 よく考えれば、この理由はおかしいです。なぜなら『役に立ちたい』と言うように、『たい』という希望の助動詞を使っています。すなわち、自分のしたいことをするためにボランティアをしているということです。たとえその助動詞の上に乗っている動詞が『役に立つ』であったとしても、実際に『役に立つ』かどうかを問題にせず、『役に立つ』と「思われる」行為を「したい」からボランティアをするのです。これは言ってみれば、自分の「したい」ことを果たす「目的」のために『困っている人』をダシにしているようなものです。
 ここには本当に自分が役に立つのかという視点がありません。(イヤ、そんなことはないという方、もう少し読んでください。一番肝心なことは最後に述べます。)

 もしボランティアをする理由が以下のようなものなら問題ないでしょう。
「私は○○で困っている人を助けることの『できる』能力を有している。困っている人を助けることが『できる』以上、それを行使するのは自分の『能力に対する責務』である。」

 ボランティアは困っている人を現実的に救うことが目的です。もし、ボランティア対象の困っている人たちが現実的に利益を得られるのなら、ボランティアをする「目的」が社会勉強でも就活のためでも何でも良いのです。ただし、『困っている人を助けるため』といった綺麗事で嘘をつくのでなければ。
 ある意味、社会勉強でも、就活のためでも、あるいは(褒められたことではないが)自分探しのためでも、それをきちんと表明したうえで「仕事」として「成果」を挙げれば、それで良いのです。綺麗事で嘘の「目的」を言わずに、困っている人たちと「ギブ&テイクの関係」が成り立っているのなら、それで良いのです。

 なぜ、こういうことにこだわるべきかと言いますと、ボランティアには責任がないからです。

 ボランティアは、労働を無償提供する人が「仕事」として「成果」を挙げられなくても責任は取らされないからです。ボランティアされる『困っている人たち』も、タダでボランティアの人に働いてもらっているから文句は言えません。
 ここに甘えがあります。

 これがお金をもらった上での労働なら、きちんと「成果」を挙げなければ、お金を払った人から文句を言われます。「結果」として困っている人を、「できる」と言って置いて助けることが「できない」ということになれば責任を取らされます(将来がなくなるとか、賠償金を支払うとか)。
 しかし、ボランティアには責任はありません。一旦引き受けた以上、最後まで、自分のプライベートを犠牲にしてでも面倒を見る、といった責任はありません。いつやっても良いし、いつ止めても良い
 ボランティアは確かに尊い行為ではあります。しかし、「尊い行為」は「責任ある行為」と同義ではありません

 そもそも大学生は未熟です。通常で考えれば、本当に困っている人の役に立つことはありません。
 いや、仮に大学生がボランティアをやることで十分役に立っているとしましょう。それでも大学生がボランティアを行う積極的な理由は事実としてありません。なぜなら、未熟な大学生が役に立つのなら、他の人でも良いわけです。それほど、簡単な「仕事」ということです
 そして世の中には、困っている人を助ける余力のある人は随分といるのです。何も大学生がやることはないのです。就職活動において、採用担当がボランティアに対して何か胡散臭さを感じるのは、ボランティアを行うのが他の人ではなく大学生である君でなければならない理由が全く「ない」のにボランティアに勤しんでいることから、何か「ボランティアの押し売り」を嗅ぎ取ってしまうからなのです(もちろん責任が課されない労働ということで評価の対象にも成りません)。
 ボランティアをしてもいいとすれば、それは非常に緊急性の高いもので尚且つ「君」でなければならない何かしらの理由がある場合でしょう。

 でなければ、大学生はボランティアなんてやっている場合ではありません。大学生には他にやるべきことがある「余力のない人」、保護者に投資という庇護を受けている「非力な人」、未熟だから山ほど勉強すべきことがある人、そういう身分の人だからです。
 大学生はボランティアに頑張っている場合ではないのです。そんな「責任のない」状態の労働を行っても無意味ですし、また責任を背負っている場合でもないです。大学生には数百万円の投資を受けているという「全力で果たすべき責務」があるからです。そう、頑張るべきは何にもまして勉学なのです。

 ですから、本来は、就活における採用側の『学生時代に頑張ったことは何ですか』という質問はおかしいのです。


 ⇒ ”(3)大学生は学業が本分”へつづく

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