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第一志望非在論(4)

 本物の愛情は、相手の欠点が自分の胸に突き刺さった時、生まれるチャンスがある。
 相手は、それが組織であれ、人であれ、そして君の志望先であれ、「君」であれ、自らの姿を取り繕う者。自分の長所のみを相手に見せ、時には誇張する。欠点は覆い隠すか、あえて欠点を見せることで自分の誠実さをアピールするが、その際見せる欠点は無難なのもので、決して「本物の欠点」ではない。
 最初はどんな組織も人も、自分の欠点を覆い隠すことに成功する。だが、時が経ち、お互いの接触が多くなると、相手の欠点が徐々に露出する。
 その時だ。本物の愛情が生まれるどうかは。
 未だ相手のことをよく知らないときに生まれる愛情は、成熟した本物の愛情とは言えない。この時、この未成熟な愛情を人は本物の愛情だと勘違いする。相手のことを十分に知っていると思い込むのである。残念ながら人は、自分の知っている世界の外に、広大な未知があることを時々忘れる。そして時が経って、ようやく相手への未知の部分がまだまだあったと知るのである。愚かな人は、このとき騙されたと思う。だが、賢明であろうとする者はそこで、今まで自分が相手に対して惚れてきた部分が、それでも維持できるかどうかを自身に問う。新たに知った欠点は、今まで知っていた長所を汚すものでないかどうかを考えるのである。
 すなわち、賢者は長所と欠点を分けて考える。長所・欠点のバランスを考える。欠点の大きさが長所を忘れさせるものなら、未成熟な愛情は成熟することなく死ぬ。だが、欠点を知ってもなお、相手の長所に心奪われるのなら、その時、愛情は本物の成熟したものとなる。

 求職活動においても同じであろう。相手組織が、それがたとえ官公庁であれ民間企業であれ、自らの「本物の欠点」を率先して求職活動中の人に示すことはない。君たちは相手組織の本物の姿を知らぬまま、迂闊にも第一志望を決めてしまうのである。
 いや、どんなものにも欠点があり、欠点を隠すのが人間や組織の自然な行為なら、説明会やパンフレットで綺麗事ばかりをコマーシャルする相手のことを一方的に責めるわけにはいかない。見る側である君の見抜く力にも責任が問われる。
 むしろ、君が相手の長所を見落としていて、志望度を落としているかもしれない。自分の足で自分の目で、相手の示すところを鵜呑みにすることなく、偏見なく相手を観察すれば、自分の知らなかった相手の長所や欠点を知ることになる。その時、志望度に変化が生じるかもしれない。
 時が経ち相手との接触を重ねれば、様々な組織人と話をすることになろう。それが志望度の変化につながるかもしれない。面接を通じてであった社員が魅力的で、志望度が上がることもあるし、逆に失望を感じて志望熱が冷めることもある。
 新たな知識、新たな出会いは、君に新たな視野を提供する。その時、君の心は変わる。知識、出会いは人の心を変えるのである。

 第一志望という概念は棄てるべきだ。そう言うのは、複数内定獲得まで選択の権利のない以上、その概念は無意味だから(非在論1)。それもある。が、最も大きな理由ではない。また、全て第一志望のつもりで選考に臨まないと内定を獲得できないからという戦術的な理由もあるが(非在論3)、それも最大の理由ではない。
 第一志望という概念を棄てるべき最大の理由、それは人の心は変わるからである。多くの接触と多くの知識を得れば、君の心は変わるからである。だから、心が変わることは織り込まなければならないし、またそう考えた方が就職先選びに失敗しにくくなるのだ。
 逆に第一志望という「一時の無知な感情」に縛られれば、君の可能性を狭め、幸せな就職を逸してしまう恐れが高いのである。
 内定獲得後でなければ見えてこないことが多くあるのも事実である以上、第一志望という感情にはもっと慎重にならねばならない。

 人の心は変わる。自分の心は変わる。そのことに我々はもう少し謙虚になる必要があるのではないか。今は志望度が低くとも、それが最も就職したくなるところに変わる可能性を織り込んだ上で、本物の愛情を自身に問うべきなのではないか。


ポリシー・フレーズ
知るまでは、愛してはならない。

(5) ~まとめ、そして「内定獲りにいくんなら結局やることは同じ」
(3) ~謙虚な態度としても、有効な戦術としても
(1) ~志望は妄想
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プロフィール

饗庭 悟 : AEBASATOL

Author:饗庭 悟 : AEBASATOL
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