スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

古文OUTTAKE - 4 -

次の古文の内容に合致するものはどれか。

 (親鸞上人が弟子の唯円に)またあるとき「唯円房はわが言うことをば信ずるか」と仰せの候いし間、「さん候」と申し候いしかば、「さらば言わんこと違うまじきか」と重ねて仰せの候いし間、つつしんで領状申して候いしかば、「たとえば人を千人殺してんや、しからば往生は一定すべし」仰せ候いしとき、「仰せにては候えども、一人もこの身の器量にては殺しつべしともおぼえず候」と申し候いしかば、「さてはいかに親鸞が言うことを違うまじきとは言うぞ」と。「これにて知るべし、何事も心にまかせたることならば往生のために千人殺せと言わんに、すなわち殺すべし。しかれども一人にてもかないぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わが心の善くて殺さぬにはあらず。また害せじと思うとも百人千人を殺すこともあるべし」と仰せの候いしは、我らが心の善きをば善しと思い悪しきことをば悪しと思いて、願の不思議にて助けたまうということを知らざることを仰せの候いしなり。
 そのかみ邪見におちたる人あって、「悪をつくりたる者を助けんという願にてましませば」とて、わざと好みて悪をつくりて「往生の業とすべき」由を言いて、ようように悪し様なることの聞こえ候いしとき、御消息に「薬あればとて毒を好むべからず」とあそばされて候は、かの邪執を止めんがためなり。
                                    〔出典:『歎異抄』〕


1 親鸞は善人はもとより悪人こそが浄土へ往生する宿縁をもっているのだよと唯円に諭した。

2 親鸞は自分の心が思い通りにならないのは善悪に拘っているからだと唯円を叱った。

3 親鸞は人はそのつもりがなくとも宿縁によっては悪を成してしまうというような意味のことを言った。

4 親鸞は人々が浄土へ往生するために何が善で何が悪かを理解していないことを指摘した。

5 親鸞は悪人を救おうとしている人のことを薬があるからといって毒を飲んでいるようなものだと批判した。






■ 解説
 内容把握の問題。
 『私の言うことを聞くか』『聞きます』『では人を千人殺せ』『できません』『さっき私の言うことを聞くっていったじゃないか』という子供のようなやり取りの後、『これにて知るべし』(「べし」は主張表現、P.313を確認)以下の親鸞のセリフが重要のようだ。そのセリフの中に『しかれども』(これもP.313で確認)という逆接(対比の論理形式)の言葉があるので、これ以降で探知機がつくれるか。
 その『しかれども』以下の文が「縁がないから殺さない」くらいのことをいっているのかなと分かれば何とかなる。さらに、その後の文脈は分かりやすい。

探知機
「縁がないから殺さない。心が善だから殺さないんじゃない。また殺すまいと思うても百人千人殺すことはある」


 これで選択肢照合をかけると、やたら善だの悪だのという言葉がある。ただ、これに加えて縁という言葉が出てくるのは肢1と肢3の『宿縁』。内容的に肢3は探知機と特に矛盾がないので、これ正解と判じる。残りの段落は無視。
 なお、肢1は「思想」科目で出てくる、いわゆる「悪人正機説」だが(厳密には違うのだが)、下手にその知識で選ぶと間違えてしまう。常識では肢1は正解だろうが、本文の内容はそのことに言及していないので×なのだ。


■ 正答 3

■ 全訳
 またあるとき師の親鸞が「唯円房よ、私の言うことを信じるか」と仰られましたので「信じます」と申し上げましたところ、「それでは私の言うことに背かないか」と重ねてと仰られましたので、つつしんで承諾すると申し上げましたところ、「では人を千人殺してくれるか、そうすれば浄土に往生するのは間違いない」と仰られました。それに対し私は「お言葉ではございますが、私の器量では一人とても殺すことなどできそうにはありません」とお答えしますと、師は「それではなぜ親鸞の言うことに背くまいと言ったのか」と仰られました。「これで分かっただろう。何事も心に思うとおりになるのならば、浄土への往生のために人を千人殺せと言われたら殺すことができるはずだ。しかし、一人でも殺すことになる宿縁がないから殺さないのだ。自分の心が良いから殺さないのではない。また殺すまいと思っていても百人千人を殺すことだってあるのだ」と仰られました。それは、自分の心が善ならば往生でき悪ならば往生できないという勘違いをして、阿弥陀様の不思議なご本願によって救われていることに気づていないことを仰られたのである。
 その昔、よこしまな考えを持つものがいて「悪を成した者を救うためのご本願であらせられるから」と言って、わざと悪事を成して「この悪事を往生への宿縁とすべき」ということを言っていた。そういういろいろと悪い評判が師の親鸞の耳に入った時、師はお手紙で「薬があるからと言って好んで毒を飲んではいけない」と戒めましたのは、そういう間違った考えを止めさせようとしたためである。


スポンサーサイト
プロフィール

饗庭 悟 : AEBASATOL

Author:饗庭 悟 : AEBASATOL
自己紹介

☆お問い合わせは
aebasatol@yahoo.co.jp

カテゴリ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。