講義録:ノートは聞きとり

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 本日の講義を聴いてもらううえで、一つ皆さんに守って欲しいルールがある。いや、本日この講義を皮切りに、学校での講義でも予備校の講義でも大学に行ってからも就職してからも、君たちがずっと永遠に守って欲しいルールだ。
 このルールを私はどこに行っても、中学生相手でも皆さんのような高校生相手でも大学生相手でも、場合によっては悲しいことだが大人相手でも、このルールを守るように話しをしている。そこまで言わなければならないほどに多くの日本人に浸みついていない習慣。
 それは、ノートは聞き取り、ノートは聞き取りでお願いする。
 今、この場にはこの高校の多くの先生も聴いておられるが、私はこんな中でも平気でいつも言っているので、ここでも言う。すなわち、日本の学校教育を受けた者は、みなことごとくコピー頭になっている。思考しないコピー頭になっている。
 君たちは授業を受けているとき、その時間の多くを、先生が黒板に書いたことを自分のノートに写すことで費やしている。
 何も考えずにだ。
 板書を写すこと、それが条件反射になってしまっている。よくある光景が、授業中つい居眠りをしてしまって、先生が板書を始めようとする(チョークを黒板にチョンと当てる)この音で目を覚ますというものだ。
 それほどまでに大事な板書を写すという行為で君たちは何をしているのかというと、目で見たものをこう(目を左手の指で差し、そこから指先を右腕から右手の先にまでたどらせて)伝えて、ノートに書く。
 すなわち、頭脳を通過していない。ただ、視界に捉えたものをノートにコピーしているに過ぎない。そこには思考も、そこから生まれる能動的な理解も、いいか能動的だぞ、そして健全な疑問も、いいか健全な疑問で、わかんな~いって言う考えていない疑問じゃないぞ、それでそこから始まる成長も、何もない。


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 こんなことを経験したことないか。
 中間や期末テスト前、テスト勉強だということで授業のノートを見返す。先生が、ここ試験に出すかもよ、なんて言っていたことを思い出しながらノートを読む。ところが、そこに何が書いてあるか、読めることは読めるが意味が分からない。たしかに、自分の手で書いた文章で、自分の字が書かれてあるのに、そこに書かれてある内容が理解できない。
 これほど悲しいことはないんじゃないか。自分がそう遠くない昔に書いたものなのに、その書いた本人が自分自身の記した言葉の意味を理解できない。これは非常に悲しいことだ。
 なんでこんなことになったかというと、黒板に書いてある文字をただコピーしているだけだからだ。自分の頭を通して書いていないからだ。そして、耳で捉えた先生の言葉は聞き流している。あるいは、書いたとしても、先生に書けといわれたから、聞いた言葉をそのままコピーしている。
 君たちは賢くなりたいか。成績を上げたいか。もし、そうなら今からはノートは聞き取り。目で捉えたり耳で捉えたりした情報をこう(先ほどと同じく、目、そして耳を左手の指で差し、そこから指先を右腕から右手の先にまでたどらせて)伝えるのではなく、目や耳で捉えた情報をこう(目耳を左手の指で差し、その指を頭にもっていってグルグル回し)自分の頭を通して考えてから、こう(そこから指先を右腕から右手の先にまでたどらせて)ノートを取るように。
 そうやってノートを聞き取りで書けば、スグに分かる。先生が言ったことは絶対にすべて聞き取ってノートに記録できないと。でも、実はそれがいいのだ。
 私は講師としては、早口な方だ。すさまじいスピードで話をする。黒板は、どうしても図に書きながら説明しないと理解できないことでもない限り使わないし、第一、黒板に書かなければならないようなことは最初から活字にして皆さんに配布する(実はこのとき、チラリと高校の先生の方を見る)。


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 そんな状況で私は受講生にノートを聞き取りさせるのだが、そのときの理想的な受講生の姿を示そう。私が凄まじい勢いで喋る。そのとき理想的な受講生なら(席に座って腕を組んで聴いている受講生の演技をして彼の心の中のセリフを言う)、フンフン、なるほど、いま饗庭は早口で3分ほどいろいろと言っていたけど、要するにこういうことね(ここでノートに書く演技)、と短く書く。
 そう、聞き取りでノートを書こうとすると、速記者のようには全部書けないから、講義の内容を短く要約したり、書く内容を取捨選択をする。これが良いんだ。これが自分の頭に一旦情報を上げてノートを書くということだ。自分の頭を通すとは、こういうことだ。
 情報の取捨選択や要約は、自分の頭を使って考えているからできることだ。第一、自分にとって分かりやすい表現で短くまとめてノートに書く、という行為はかなり集中して思考しなければできない。本当に講師が話した内容を理解している、あるいは理解しようとするからできることなのだ。
 こんなふうに集中力も高まる、いや、高めざるを得なくなるから、自分の言葉でノートを取りなさい。そりゃ、ところどころは講師の言ったことをそのまま書くべきところはあるし、私もそれを要求することはあるが、そのときはそう言うので、それ以外は自分の言葉で書きなさい。
 いいか、ノートは自分のために書く。自分にとって最も分かりやすい言葉で書く。そう主体的に書いて欲しい。それはもっとキチンと説明すると、書くべき内容を自分が主体的に決めるということだ。


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 だから、私はどこへ行っても以下のことを言っているので君たちにも言う。私の講義の内容で何を書くかは自分で決めなさい。
 たとえ、私がこれは重要な事柄だからノートに書けと、仮に命令口調で言ったとしても、君の中でそれが君にとって重要な情報でないと思うのならば、私のその言葉は無視しなさい。逆にもし私が、これはついでに言う情報でそんなに重要じゃないから書かなくてもいいよ、と言ったとしても、それが君にとって重要情報ならしっかり書きなさい。
 自分で書くべき内容を決め、自分の言葉で書きなさい。そうするからそのノートが自分のためのノートになる。そして、そうすること、ノートを取ることそのものが思考の訓練となる。理解も深まる。ついでに授業中、眠たくなくなる。聞き取る方が集中力が要りますから。そうしたら、その授業時間が自分の未来のための時間となる。
 そう、ノートは未来の自分のために取るんだ。誰のためでもない。友達やましてや先生のためでもない。だから、未来の自分に語りかけるように書いて欲しい。こう書けば、3ヵ月後の自分は理解できるだろう、そんなふうに書いてほしい。別に誰かが君のノートを見て理解できなくてもいい。君さえ理解できて、それが成績や合格や成長につながるのなら、それでいい。
 仮に他人に優しくできなくても、自分には優しくできるだろう。だから、ノートを取るとき、3ヵ月後の私よ、1ヵ月後の私よ、入試直前の私よ、これを忘れるな、ここが大事なんだぞ、とそう自分に語りかけるように優しくノート取ってくれ。未来の自分に優しくね。
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饗庭 悟 : AEBASATOL

Author:饗庭 悟 : AEBASATOL
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