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忘我採異

 人は時に、「自分自身に合ったやり方」というものを、忘れる必要があるのではないか。

 人にはそれぞれ自分なりのやり方、自分のスタイルというものがある。営業の手法であれ、受験の勉強法であれ、自分にふさわしいやり方というものを築き上げて、目的を達成する。
 斯く言う筆者も自分独自のスタイルに拘る人間である。だから、自分のやり方を守る人の気持ちは理解できる。よって、大学受験・公務員試験の勉強法、営業や求職活動の仕方について伝える時も、『こうすればよい』という完成された方法論を披露はするが、最後には『私が提案するこの方法論をもとに、自分なりのスタイルを追求してください』と言う。
 人はそれぞれ自分なりのやり方を持つべきだ。たった一つの正解なんてない。私は、そう思っていた。

 いや、それは正しいのだ。
 問題は、「自分自身に合ったやり方」というものを本人は本当に知り得るだろうかということだ。さらに言うなら、「自分自身に合ったやり方」というものを一つ持ってしまうことは、そのやり方に自分の可能性を限定してやしまいか、ということだ。


 講習などで、営業の仕方や面接の受け方などを、私を含め講師の面々が伝える。そうすると、どの講習にも必ず現れるのが『そのやり方は自分に合わない』と言う人だ。
 ちょっと待って欲しい。提示された方法論が君に合わないと言う根拠は一体何だ。それに代わる「自分自身に合ったやり方」が、提示された方法論より優れている理由は何か。その客観的な根拠はあるのか。そもそも君が言う「自分自身に合ったやり方」で成果が出ているのか。その成果は十分と言えるのか。
 結局、このようなことをいう人は適応力がないというだけのことである。よりよく変わろう、成長しようとしない人間なのである。いや、本人はそのつもりなのだろうが、人のやり方に合わせるのが面倒なのである。『そのやり方は自分には合わない、自分自身のやり方が正しい』と言う人は、器が小さいといえるかもしれない。いや、社会ではこう呼ばれるだろう。

 素直じゃないヤツ。

 人に何かを権威を持って教える人間には、その分野におけるそれなりの実績と卓見がある。ほとんどの場合、『そのやり方は自分に合わない』と言う人よりも、そのジャンルについて多くの時間と労力と思考を費やしている。
 ならば本来、そこで提示されたやり方を一旦は素直に受け入れなければならないのではないか。自分自身がもつ方法論がどうであろうとも。
 そのことをここで強く主張するには、もう一つ有力な根拠がある。

 それは、仕事のできる人間ほど、その人が持つ独自のスタイルとは違う、別の方法論を受け入れようとすることである。
 できる人ほど、実績のある方法論なら、たとえ自分のスタイルとは真逆でも、受け入れようとする。いや、

 取り入れようとする

 成長する人ほど、自分の感覚・感情を脇において人の言うことを素直に受け入れる。いや、そう人ほど、そもそも他人の言うことにスグ反発する感覚・感情を持ち合わせてはいない。素直でない人は、それが単に自分が持っているものとは違うという理由だけで、その時沸き起こった感覚・感情を、容易に忌避感・嫌悪感に結び付けてしまう(これは人種差別の感覚と同じ)。そして、そういう人は至極意味の薄いこの言葉を使って思考を停止させてしまう。曰く『何か違う』と。


 できる人というのは、自分とは異質な者を素直に受け入れる、いや取り入れる、少なくとも取り入れようとする人のことである。そうやって、自分の可能性を拡げようとする人のことである。
 自分が思う幸せを掴む人ほど、世界の広さに喜びを感じ、未知の領域に触れる幸運に感謝し、自分の感覚や感情とは違うものを取り入れようとするのである。


 そういう人たちは知っているのだ。世界は予測不能であることを。自分が知らない可能性や喜びが未だあることを。
 そして、人の気持ちは変わることを。人の判断は変わることを。その人自身が変わることを。


 『どうしても自分のスタイルより劣っていると思えるやり方、自分とは合わないやり方』というものを嫌々でも取り入れてみたら、案外こっちの方が良いということもあるかもしれない。もちろん、そうはならないかもしれない。だが、世界はどのみち予測不可能だ。自分が世界の全てを知っているかのような振る舞いをしないことだ。自分が自分自身に関する出来事を完璧に予想できないのなら、そして今まで自分の身に起きたことは完璧に前もって予測できたと言えないのなら、そのジャンルで何かを成し遂げた人間の言うことは、まずは素直に取り入れるべきであろう。
(もし、私の講義を受講した人の中で、私が高校時代の剣道の師匠に受けた一見理不尽に思える剣法を強いられた話を聞いたことがあるなら、それによって真に自分の「現実的な」スタイルを私が得たことを思い出していただきたい。)

 視野を広げなさい、という助言は誰しもが一度は人生の先輩たちから受けたことがあろう。そして、その説を否定する若者もいるまい。ならば、自覚すべきだ。自分の感性に合ったものしか視野に入れていなければ、視野が広がるどころか、永久に、「新たな自分」が自分の視野に入ってくることはない。これこそ最も痛い「狭い視野」ではないだろうか。

 だから言うのである。
 「自分自身に合ったやり方」というものを、一度忘れよ、と。


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饗庭 悟 : AEBASATOL

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